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私をかたちづくるモノとコト
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    [ 2005-04 -29 11:18 ]
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    [ 2005-04 -02 11:43 ]
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    [ 2005-04 -02 11:38 ]
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病気が教えてくれたこと(7)---自分という不思議な存在---


夫は3年経った今でも、睡眠薬を飲んでいます。
薬を飲んで寝ても、明け方には目が覚めてしまうのですが...。

症状もうつりかわり、
今は病名を云々することも無意味な状態です。

新しい症状が出るたびに検査しますが
医学的には何の異常も見られません。
ひとつ症状が消えると別の症状が出たりします。

病気についての感じ方・捉え方は、私と夫とでは違うので
夫が自分で治癒の道を見つけてくれればいいとは思っていますが
ちょっとやきもきしてつい口を出してしまうこともあります。
大抵はイヤな顔されるので見守るようにはしていますが(笑)。
なかなかおせっかいをしないでいるのは難しいです。

私自身 健康体とは言えず、慢性的な不調を抱えていますが
あまりそのことにこだわらなくなって
気持ち的には楽になっています。

過去に医師との関係で嫌な思いをしたことも
今では、自分がそういう人を引きつけていたのだと分かります。


そう、私が病気を通して得たのは、
「自分」というものを広げて考えられるようになったことです。


病気になると、自分の意志とは関係なく身体が壊れてしまって
自分の一部であるはずのカラダが急に自分に協力してくれなくなって
自分を苦しめようとしているかのように感じたり
なぜ自分がこんな目にあわなきゃいけないんだろうとか
悪いことしてても健康な人がいっぱいいるのにとか
自分がストレスを受けた人たちが私を病気に追いやったのだとか
親との関係が原因だとか
色々色々考えます。

でも、自分なのですよね。

このカラダは、自分なのです。

全部含めて、自分、なのだと分かりました。


自分という存在は思い通りになるように錯覚しがちだけど
実は思い通りにならない部分がいっぱいある。
思い通りになると思い込んでいるから
そこに苦しみが生まれるんですね。


心についてもそれは同じことで

気分、感情、性格はすべて、
常に新しく生まれ、流れ、変容していくものだと知りました。

自分のココロが思い通りになるものならば
善人でいたい、と思うだけで
ずっと善人でいられます。

でも実際は いついかなるときも善人ではいられない。

自分をとりまく環境もまた、様々に移り変わるものだから。
毎日 風の匂いも 雲の流れも うつろっているのだから。
ぬくぬくした母親の子宮から出て そんなこの世に産まれてきたのだから。

この世は変化に富んでいます。

この世では いいことも悪いことも いっぱい起こります。

ココロも、日々、刻々変化していくもので
楽しい気分も悲しい気分も 自分の意志を超えて訪れます。

自分が好ましくないと思うものも含んでいるのが 自分。

好ましくない部分を否定していたら
いつまで立っても自分のことが好きになれないと思うのです。

この世の果てまで逃げてみたところで、
「自分」から逃げることは絶対にできないのだから。


この「ワタシ」と一生つきあっていく。

この「ワタシ」で生きていく!


そんな風にどこかで腹を決めなければ、

嫌なことが起こるたびに

私は「ワタシ」を否定し
「ワタシ」から逃げようとし
「ワタシ」自信のココロもカラダも
認めてあげることができないまま生きていたと思います。

そう、自分を受け入れないことで

実は自分が 一番自分を苦しめていた。


自分を受け入れる


それは 数少ない、
自分の意志で動かせることのひとつ。
▲ by Piedrita | 2005-04-29 11:18 | 病気が教えてくれたこと

こつこつこつこつ


こつこつこつこつ日記を書いて

もうすぐ2ヶ月

こつこつこつこつ書いてきた足跡

気がつけば、ここに来てくださる皆さんが

私について、たくさんの情報を蓄えてくださってる

こつこつこつこつ書いてきたものたちが

このブログの向こうにいる皆さんに
「わたし」のすがたかたちを伝えてくれている

Piedritaさん、と呼びかける声に

皆さんの想像の中にあるわたしを
思い描いてくださっているんだなぁ.....



そんな響きが感じられる

文字にも、思いがのるのでしょうか......?

伝わってきますよ、皆さん *^-^*



ありがとう


ありがとう


感謝しています
▲ by Piedrita | 2005-04-26 23:45 | つれづれ

女子ってやつは


ちょっと思い出した中学の頃のはなし。

中学一年の頃、私はいわゆる一匹狼的な存在だった。
かといって孤立していたとか
いじめられていたというのでもなく
自然に状況に任せていたという感じ。
淋しいとは全然思わなかった。

クラスでいじめられていた女の子が一人いた。
何が周りの気に障るのか分からない。
ごくごく普通の、ただちょっと大人しいUちゃん。
不潔にしている訳でもないのに
ちょっと触れただけでバイキン扱いされたり
目の前にいるのに、いないモノとして無視されたりしていた。

私はそのUちゃんに対しても普通に接していた。

ある日、Uちゃんが
別のクラスの、やはりいじめられている子にあてた手紙が、
誰かの手によって公開され、大騒ぎになった。

その手紙の中にあった一文が騒ぎのもとだった。


「このクラスで信じられるのは○○さん(私の名前)だけ。」


そう書かれてあったのだ。


(なぬーそこまで追いつめられていたのかUちゃん!!!←私の心の声)


女子たちは「○○以外のあたしたちはどうだっていうのよ!」
とUちゃんに詰め寄り
Uちゃんは真っ赤になってうつむいて泣いていたが
皆の詰問に顔をあげて叫んだ


「だってそうじゃない!○○さんだけが私に普通に話してくれるんだもん、
 思ったとおり書いたんだよー!」


Uちゃんは教室を走り出ていった。

残された他の女子と私。

皆は私に向き直ると、矛先を私に向けた

「Piedrita はどうなの!?あの子と仲良くしたいと思ってんの??」
「あの子とあたしたちとどっちをとるのよ!」
「あの子と仲良くするならもうPiedritaとはつきあわないよ!」


私、あぜん.....。

熱くなってる皆には申し訳ないけど
その時私の口から出たことばは

「バカじゃない」

今度は皆が固まっていた。

みんな、すっごい真剣なんだけど、正直ほんとに

「バカ」

と思った。

「みんな何バカいってんの?
 そんなことでつきあわないって言うなら
 つきあってもらわなくていい。好きにすれば」

と言って立ち去ろうとした。

先頭にたって私をなじっていた子は
急にうろたえて、私の腕をつかみ、平謝りに謝ってきた。
私は普段怒らないやつだった。
その私が口調は静かだけど怒った。
それが何かすごい迫力があったらしいのだ。

「Piedritaがそんな風に怒るなんて....。ごめん、ほんとにごめん。」

皆をおどそうとか思った訳じゃなくて
心底むかついたというかあきれてた私は
そんな風に態度をひるがえす皆を見て余計イヤ〜な気分になった。

今でも言葉に出来ないけど

今の言葉で表現するとすれば

「おまえらにはポリシーってもんがないんかい!」
「何を守ろうとしてそんなに熱くなってんのか分かんないけど
 自分たちは正義だ、みたいな顔して言うほど価値のあることなら
 簡単に意見をひるがえすな、チクショー!」

みたいな感じかな.....。


女の子ってそういうもの、って言う人多いけど
あのときも、今も、
ほんとに分からない。

何でそんなに群れたがるのか。


どうして?


その後もそのクラスでは一匹狼であり続けた私。


今思えば一年生だから
フツウはくだらない事でぎゃーぎゃー言う年頃だなぁ。


私みたいなヤツは浮いちゃって当然だったかも。
▲ by Piedrita | 2005-04-24 10:14 | つれづれ

病気が教えてくれたこと(6)---バランス---


夫と私は2年間の同棲生活を経て結婚した。
結婚して2年目に私が病気になり仕事を辞めた。
発病当時、私は夫との生活と仕事との両立に疲れ果てていた。

私は仕事を辞めた負い目から ますます夫の支えになろうとし
夫も、それまでにも増して心理的な母親役を私に求めるようになった。

お互い、共働きの時とは肩の荷の中身が変わった。
その頃には夫の仕事も軌道に乗っていて
特別経済的に困窮することは無かったが
フリーで働く夫のプレッシャーは大変なものだったようだ。

私は私で、病に苦しみ、夫のいたわりが欲しかったが
夫の性質上それは無理だった。

諦めてはいたけど、ずっと満たされない思いはくすぶっていた。
甘えられない代わりにか、度々私は「爆発」した。

どうしてこの人はこうなんだろう
どうしてこう自分のことばっかりなんだろう
なぜ私の心を思いやってくれないんだろう


そんな不満が満ち潮のように押し寄せてくると
感情のコントロールができなくなった。
私が爆発すると 夫は最後には
「誰のお陰で生活できてると思ってるんだ」と切り札のように言う。
それがまた私には我慢ならなかった。

2人きりで生活しているから
どちらが正しいなんて客観的に裁いてくれる人はいない。
夫と喧嘩したって堂々巡りだということに気がついて
私は自分を変えようと思った。
苛立つことに疲れてもいたし、
どう言ったって夫は分かってなんかくれないのだ.....
そんな諦めの気持ちもあった。

呼吸法の訓練を続けるうち
自分に起こるすべてのことは自分の責任で
自分の中の循環が良ければ
周りの言葉や態度に振り回されることもないのだと気づいた。

そのうちだんだん夫に腹が立たなくなってきた。
腹を立ててしまった時は、
必ずあとで自分の身勝手さを感じてイヤな気分になる。
苦しみながら
のたうちながら
心と体は一緒に変化した。

夫に対する言葉も変わっていった。

病気になったことと 夫との関係
この二つの不幸感を自力で乗り越えたことが
自信に変わっていたのかもしれない。
ひとやま超えたところで、少し大きな目でものごとを見るようになっていた。

私の回復と入れ替わりに鬱病になった夫が
ある日布団の中から私に向かって叫んだことがある。

君はいつのまにか 俺より偉くなっちゃったんだよ....!
昔は俺の方が君にアドバイスする側だったのに
今は君ばっかりが俺にものを教えようって態度なんだ
どうせこんな俺に頼ろうなんて気は起きないんだろうけど....!


えっ、何言ってるの?
そう思った。

私が病気の時でさえ依存していたのはあなたじゃない。
自分が支えている相手に寄りかかれる訳ないじゃない。
強くないのに、強く扱えと言われても困る。

あなたは自分でその関係を選んだんじゃないの.....?
いや、そんな関係に気づいているとさえ私は思わなかった。
当然の権利として私にサポートを求め
自分が正しい、周りが間違っていると断言していたじゃない....。

(夫は何かに気づきはじめているんだろうか....?)


今思うと
私が変わったことで
夫は自分に「自分の言葉」がないことに気づいてしまったのかなと思う。
その当時は周りを変えることばかり考え
自分が変わるという発想がなかった夫。
自分が病気になったこともすべて周りのせいにし
仕事の関係者、親、世間、すべてを憎んでいた。
毎日毎日、自分の身の不幸と周囲の人間への恨みを口にしていた夫。


私の口からまず「あなたのせい」という言葉が消えた。
そのことが微妙に夫に影響を与えていたような気がする。


夫が病気になって2年が過ぎた去年の夏

夫の口から

「君が病気のとき、どんな気持ちだったのか、やっと分かった...。」

そんな言葉が聞かれるようになった。

夫から不貞を告白されたのはその数週間後。



右に左に、大きくバランスを崩しながら

釣り合うところを探してきた私たち。

今年結婚7年目



少しは中心点が見えてきただろうか。
▲ by Piedrita | 2005-04-18 17:28 | 病気が教えてくれたこと

病気が教えてくれたこと(5)


今思うと、夫と私が一緒に生活を始めたときから
お互いの病的な性質が影をひきよせていたと思う。
いや、遡れば2人とも子供時代から、
身体が色んなストレスを引き受けてきたようなところがある。

ひっくるめると
2人とも自律神経が狂いやすく
幼い頃から、原因不明で、心因性と見られる病気ばかり。
敏感体質、という点で、夫と私は似たもの夫婦だ。

つきあっている頃から
夫の ものごとに対するものすごい執着心と 神経質なところは
ちょっと異常な気はしていた。
でもその強い執着心で今の仕事に就けたとも言えるし
その完璧主義と根性は 今の時代珍しい職人カタギともいえる。
ただ、自分の思い通りにならない時の不快感の受け皿は
すべて私が負っているようなところがあった。
幼い頃はそれが母親の役目だったらしい。

思えば、私と実母の関係がそんな感じだった。
私が幼いころ、母は毎日苛立っていた。
気が強くて感情的で、せっかちだった母。
私は構ってもらえない淋しさを紛らわすため
読書やお絵描きに没頭していった。
作文や絵が誉められると母は喜んでくれる。

甘えない子供....。

自慢の娘になれば母が笑顔を向けてくれる。
当時は気がつかなかったけれど
子供なりに必死の思いで期待に応えようとしていたようだ。
小学校の高学年になる頃には
月に二度は保健室のお世話になっていた。

父の起業、多額の借金、祖父の介護、従業員の世話。
丁度妹が生まれ、
母は育児と家事で毎日キリキリしていた。

姉は妹の面倒を見ることで母に認めてもらえる。
私は、役立たず....。
せめて母の苛立ちの元になるまいと
目立たぬように、
存在すら感じさせぬように
おさなごころに 影になりきって過ごした日々。
「あら、いたの?」と良く言われた。
身体がそれに反発しているのか 時々発作が出る。
倒れると母が迎えにきてくれる。
怒っていない母の思い出は病気の時ばかり。

数年前 神経症の治療法を模索していた時期
一度催眠療法で幼児退行したことがある。
幼児に戻った私は母が恐くて
コワイ!コワイ!と泣き叫んだ。
そして最後は、
泣き声まじりに母に激しい怒りをぶつけていた。

母への恨みとかはまったくない。
特に夫の不倫を打ち明けてからは、
昔私に与えられなかった愛情を補うかのように
帰省の際に 優しい言葉や、労いの言葉をくれる。
嬉しいと同時に、
少しでも健康になって 母を安心させてあげたいなぁと思う。

私は生まれつき、
他人の感情に敏感に反応してしまうたちだったんだろうと思う。
母が特別ひどいことをした訳ではない。
同じ母に育てられながら
姉や妹は母への葛藤は全く無かったという。

呼吸法の教室で
今まで私の身体が感じてきたことを
初めて理解してくれる人と出会った。
指導員のMさん。

自慢じゃないけど
不調を周りに悟られないように、明るく振る舞う術に私はたけていた。
目に見えない、検査の数値にも現れない自分の体調を
周囲に理解してもらうことはとっくにあきらめていた。

Mさんは
おはよう、と挨拶をするその瞬間に
私のその日の体調を毎回言い当てた。
それだけでなく
私の身体が私に教えようとしていることを
かみ砕いて少しずつ、私に翻訳してくれた。

その頃は、立っていても、歩いていても、
文字通り腕ひとつ動かすのも辛い時で
でもそれを一切外に見せずにロボットのように
毎日やるべきことをこなしていたので
自分自身が自分の辛さに麻痺してしまっているような状態だった。
自分の身体に血が通っていることさえ感じられなくなっていた。

そんな私が、Mさんに手を当ててもらうと
恐ろしい勢いで涙が出てくる。
涙だけでなく、鼻水、ヨダレ、汗.....。
身体じゅうから 溜め込んでいたものが一気に噴き出してきた。
入れ替わりに、何か温かいものが体中を満たしていく。
私が泣きやむまで、いつまでも背中に手をあててくれたMさん。

ある時、いつも穏やかで冷静なMさんが
私の背中に手をあてた瞬間
ウッと泣き出した。
「Piedritaさん、何でこんなに頑張っちゃったのよぉ!」
「もう、だめだよ!こんなに、こんなに我慢しちゃ....!」
「Piedritaさんの身体が、カナシイ、カナシイって....言ってるよ....!」

夫の告白を受けて2ヶ月頃のことだった。
その時も私自身は麻痺していた。
誰にも話せず、一人で抱えていた。
落ち込む夫を逆に励まして笑顔を見せ
私は平気よ!と夫の看病を続けていた時期だった。

はじめは、ビックリして、Mさんに背中をさすられるまま
ただただ、キョトンとしていた。
泣いているMさんに申し訳ないようで
「ごめんなさい....。」と言ったら
みるみるうちに涙が出て2人で号泣になった。
妙な形のもらい泣きになった。

そういえば、
催眠療法のセラピストさんも私と一緒に泣いてくれた。
私の抱える具体的な問題について
ひとことの言葉を交わすことも無かった人たち。

私の身体が発する信号を
私以上に敏感に感じとってくれた人たち。
自分自身が鈍感であってはいけないと
私は自分の身体への認識をあらたにした。

徐々に
私の身体に血が通いだした。
感覚の無かった足指が、次第に地面を踏みしめる力を取り戻していった。
胸に石が詰まっているような感覚だったのが
涙とともに緩んでくるようになった。


自分の身体を痛めつけながら生きてきたことを痛感した。
そしてそれが誰のせいでもないことが分かった。


誰のせいでもないけれど
間違っていた身体の使い方を正していけるのは
自分の力だけだということも。
▲ by Piedrita | 2005-04-18 11:37 | 病気が教えてくれたこと

不倫された妻・夫が新しい地平を見つけるとき


クロージングへ

futenさんの日記にコメントさせて頂いたらそのお返事の中で

もちろん僕の努力もあるでしょうが、その一番の貢献者は妻だと思っています。妻の手助けがなければ僕はここまで来れませんでした。今回の経験でわかったことは、変ないい方かもしれないですが、夫婦でやり直そうと決めて頑張っている被害者(された側)を救えたのは、加害者(した側)だったということです。配偶者で空いた心の穴は、その配偶者でしか埋めれないということがよくわかりました。

とおっしゃっていた。

私もこれに激しく共感したのでTrackBackさせて頂きます。

被害者、加害者という言い方は
夫婦の再構築を進めていく上で妨げになることもあると思いますが、
お互いの関係をこの被害者、加害者という言葉で表すことで
見えてくるものもあると思います。
futenさんもそうした狙いでこの言葉を使ってらっしゃると思います。

以前お世話になっていた夫婦再構築を目指しているBBSで
どなたかがとても印象深いことを言っていました。

不倫のあった夫婦がともに生活すると言うことは、自分に傷を与えた加害者と同じ屋根の下で暮らすということであり、しかも相手を愛しているという状況なのです。自分の存在価値をも脅かすほどの心の傷を受け、どうしようもなく相手を憎みながら、その一方で愛しくて愛しくてしょうがない。愛と憎しみという相反する感情の葛藤の渦に投げ込まれてしまうこと、その上で、相手に不倫の罪が理解できていない場合は、傷ついた体と心で相手の手を引いて歩かなければならない。不倫された人の苦しみはされた経験がなければ分からないというのは、そこまでの激しい心の葛藤を生むような出来事は他の経験とは比べようが無いからです。


というような内容だったと記憶しています。

不倫をした配偶者は、
そのまま不倫をやめなければ、
相手のこうした姿から永遠に目をそらしていられます。

不倫をやめたとしても
された側の目に見えない心の葛藤を想像する力が無ければ
自分のしたことの意味を理解できないままです。

自分のしたことの本当の意味を理解するのに
長い長い時間が必要な人もいます。
不倫をきっかけに
配偶者とも自己とも深く深く 向き合うことの出来る人は
その時間が短縮されるかも知れません。

それは不倫をした側(された側も)の「やる気」にかかっています。


私は何も、不倫をする人に対して
「天に変わって成敗してくれる!」とか
「倫理的に許せない!」とか
「お前は悪だ!」と言いたい訳ではありません。

不倫をする人は その人なりの必然があって不倫するのだと思うからです。
(不倫をした時点では、という意味です)


不倫を終えて配偶者の元に戻った人は
戻った時点で自分のなすべきことは終わったと勘違いしがちです。

でもされた側は
ある日突然、強烈な感情の渦に放り込まれてしまうのです。
相手への強い愛を感じれば必ずそこには同じだけの憎しみがわきあがります。
相手への憎悪を感じれば、必ず同じだけの強烈な愛情を感じます。
相手を愛することと憎むことが一体になるのです。



「愛しているなら許せるはずだ」とか
「愛しているならなぜそんなに責めるんだ」と言う人がいます。

そういう事が言えるのは
自分にはそういう葛藤がないからです。
責められて、どんなに辛い思いをしても
どんなに自責の念に苦しんでも
その葛藤がない限りは された配偶者よりは常に余裕があるのです。

そして、
「愛しているなら許せ」という人は
それを言うことで
相手に神に近い人格を求めているのです。
(自分は不倫に逃げるような弱い人間でありながら)

一方のされた側は、
嫌でも自分と向き合わなければその葛藤から抜け出せません。

自分がこれまで経験もしなかったような悪感情が
常に常に泥の噴水のように湧いてきます。
今まで善良に生きてきたと自負していた人が
自分の中の鬼や悪魔を目の当たりにし
激しい自己嫌悪にさいなまれます。

そこでした側が
「そこまで苦しむのも当然だ。それだけのことを私はしたのだから。」
とその悪感情を肯定し受け入れてくれればまだ救われますが
不倫を終えた人は
「もう終わったことなんだからそんなに苦しむ必要はないのに。」
「もう自分はそんなことしないんだから疑う必要はないのに。」
と言ってしまいがちです。


された側はそこでさらに打撃を受けるのです。


不倫をした配偶者に助けを得られないと分かったとき
己の中で製造される絶え間ない苦しみから逃れるためには
己の力で自分と向き合うより他にありません。
好むと好まざるとに関わらず
自らを救うために、
傷を受けた体と心を抱えたまま
さらに「自己の変容」という産みの苦しみに
身を投じなければならなくなるのです。


自分と向き合う中で様々なことに気づきます。
自分のことも、突き放して見なければなりません。
お互いの間にあった問題も見えてきます。
そして夫婦再構築の向かうべき先を
最初はおぼろげに、次第にはっきりと認識するようになっていきます。

そこへたどり着くまでは塗炭の苦しみです。


それだけのエネルギーを注いで自己と向き合った人間と
それをしなかった人間が夫婦でいるのは無理があります。
夫婦はお互いに頼るときもあれば頼られるときもある。
時と場合に応じて役割交代ができるのは
基本的には2人のバランスが釣り合っているからです。
一番濃い関係にある人生のパートナーと
バランスの狂った状態で 長く共に居るのは不自然です。


そこで、離婚という選択をする人もいるし

相手が変わるのを辛抱強く待つ人もいます。

辛抱とも感じずに気楽に待てる人
人によっては一生待てる人もいます。
とても器の大きな人だと私は思います。


ちょっとまとまりがつかなくなってきましたが
私が言いたかったのは

不倫された配偶者が自己と向き合い成長するとき
した側も同じくらいの迫力で自分を見つめ成長することでしか
夫婦再構築の道は開かれないということです。

形ばかりいくら整えても
2人の意識のズレはごまかせません。


不倫した側、された側というくくりで書きましたが、もちろん逆もあります。


ときには、不倫した側が自分の愚かさに気づいて歩きだしているのに、
された側がいつまでも被害者意識から抜け出せない
そういうこともあると思います。


そういう風に考えると
自分がした側なのか、された側なのかというのは
あまり意味を持たなくなってくると思います。
夫婦の間にあった歪みを どちらが体現したか というだけの事だと思います。

多くの場合は、
長い時間がかかっても、
どちらかが意識を変えることで もう片方も敏感にそれを感じとり
無意識的にしろその変化についていくことになると思います。
それは2人がそれぞれに「自分らしさ」を獲得することでもあり
それがあって初めて
自分とは違う人間である夫あるいは妻を認められるのだと思います。
そして相手と違う自分を認めてもらえるということが
お互いの癒しにつながるのだと思います。


配偶者とぶつかりあうことを避けて不倫をしている自覚がある人は
まず不倫をやめることが最初の一歩です。
その一歩を踏み出すことで何かが変わります。

配偶者に自分の罪を告白するときは
相手にとっても自分にとっても
そこが茨の道の入り口だと思ってください。
自分が楽になりたいために告白した人は
今からでもその意識を変えてください。

そして、配偶者の責めたい気持ち、泣きたい気持ちを
決して否定しないでください。
どんなに責められても、泣かれても 受け止めてあげてください。
自分がその傷を与えたと思うと苦しいことと思います。
その自分の苦しみに焦点を当てるのではなく
相手が目の前にいるときは、自分を捨てて
相手の苦しみに焦点を当ててあげてください。
受け止めてもらえたら、そのぶんその人は早く癒されるのです。
鬼のような自分、夜叉のような自分でも受け入れてもらえるのだと知ることで
その人は自分の存在価値を回復できるのです。


出来るならば、カップルカウンセリングを受けたり
たくさんの本を読んで自分を知ろうとしてください。
自分について感じたこと、考えたことを
パートナーに話してください。
そして自分が語る以上に、パートナーの話を聞いてあげてください。


不倫をされたパートナーは、
言いにくいことや恥ずかしいことをたくさん抱えています。
何でも話せる雰囲気をつくってあげてください。
傷ついたパートナーの手をいつも握っていてください。


何だかまたお願いばっかりになっちゃいましたが
たいていの場合不倫をした側は、
配偶者にばれるとか
自分から告白するとか
ある程度予想ができるぶんだけ、心の準備があるのです。
そういう意味では、例えあなたがどんなに苦しくても
あなたを200%信頼していた された側に比べれば 余裕があるのです。


いたずらに自分を責めろと言いたいわけではありません。
今までの自分と決別する勇気を持って欲しいのです。


そして不倫をされた人は
頭で考えるのではなく、自分の心の奥底にある声を聞いてください。
自分の愚かさや悪感情は、
否定しても むしろ否定すればするほど 長引いてしまいます。
自分は神ではないのだと、凡人なのだと認めてあげちゃってください。
頭がYESといっても 心がNOと言うなら 心の声を優先してください。
何を求めているか、どんな2人になりたいか
パートナーに伝え続けてください。
伝えるときは、苦しくても自分のことをひとまず脇に置いて
相手の状態を見ながら 伝わりやすい言い方で 伝えてください。
「離婚」の文字が頭をかすめても
なるべく最後の最後まで口にしないでください。
「離婚」という言葉を口にすることで
「あなたを愛していない」というメッセージを相手に送ることになるからです。
そして「愛していない」というのは嘘だからです。
苦しいのは「愛しているから」だからです。




えらそうな事ばっかり書いてしまいました。

それに自分が出来なかったこともたくさん含んでいます。

「私はそうは思わない」という方
「こういう見方もある」という方

遠慮なくご意見ください。

私は私の経験から感じたことを書きましたが
そうでない意見も聞いて視野を広げたいと思っています。
まだまだ見えていないこともありますし....。
男性と女性で感じ方に違いがあるかも知れませんね。

長文を読んでくださってありがとうございます*^-^*

あ〜つくづく、
短くまとめる練習をしなければ....!(^^;)
▲ by Piedrita | 2005-04-13 10:47 | あなたとわたし

真実は すこし 辛くて 痛いもの


    生のニンニクをうっかりかじってしまった
    辛いな....辛くて、痛い

    あちらこちらと めくらうちする
    盲人の杖づかいのように
    わたしは真実を言っている人に対して
    忠告なぞしてしまったのだ.......

                  フラメンコの歌詞より





学生時代に見た、忘れられない場面がある。



広くてまっすぐな歩道を、白杖を手にした視力障害者の人が歩いてきた

反対方向から、スーツを着た会社員風の男性が歩いてきた

もう少しですれ違うというとき

スーツ姿の男性が、足もとにあった何かにつまづいて

視力障害者の側へよろけ

白杖に足をひっかけてしまった




次の瞬間、

白杖の持ち主の表情が歪んだかと思うと

ぴしゃり!

杖をひるがえし

鞭を使うような動作で、男性の体を力いっぱい打った



打たれた男性は痛みと驚きで声も出ずにその場にくずおれた

怒りを杖に込めて叩きつけたその人は

呆然と見つめる男性を置き去りにしたまま

いっそう強い足どりで まっすぐ進んでいった

私は打たれた男性に少し遅れて

杖の持ち主とすれ違った




何か声をかけたかったができなかった。



   あの人はわざとひっかけたんじゃないんですよ

   あなたが憤るようなことは何も起きていないんです

   あなたに危害を加えようとした訳じゃない

   打つ必要はなかったんです



そう教えてあげたいのに

すれ違いながら見たその人の顔には


   
   ああ......

   こうしてしまうだけの

   幾度もの経験が この人にはあったのだろう

   ひとつ間違えば命を落としかねない状況で

   周りの気遣いの無さや

   時には故意による仕打ちを 与えられ

   この人の心を荒らしてしまうだけの経験が......



そんなふうに思わせるような気迫があって のどがつまった


悲しくなった


誰も悪くない


誰も悪くないのに......


打たれた人は、忘れないだろう その日の出来事を


それはそれでいいのかも知れないが


真実を知らずに怒りに震えながら歩いていったあの人は

いつかその敏感さから解放される時が来るのだろうか



見えていたって

見えているはずと思い込んで

同じことをやっていないだろうかと

思い出して ふと 考える



それから

あの人は真実を知ったら

知ったことを 幸いと思えただろうかと
▲ by Piedrita | 2005-04-11 02:39 | つれづれ

やさしく ゆっくり 舞いおりるもの


昨日友人が出ている芝居を見に行ったら
ラスト近くで雪が降る設定になっていて
紙吹雪がはらはらと舞いおりてきた


ああ
ただの紙なのに、
はらはら、ちらちらと舞う無数の小さなものを見ると
なぜ切ない気持ちが呼び起こされるんだろう




今日は満開の桜の花びらが間断なく散って
風に舞う花吹雪のトンネルをつくっていた

私は立ちのぼるお線香の煙とか

ゆっくり落ちてくる軽いものとか

そういうものがあると じっと、みてしまう



実家のあるところは雪国で
春が近づいてくると、
乾燥した小粒の雪が舞うようになる。

雪も、
ゆっくりと 風にもてあそばれながら落ちてくるものが
なぜか心にじーんとくる





ゆっくり ゆっくりと 落ちていく
ちいさな ちいさな ものたちが
私の目を奪うのは


空気の抵抗で
あるものは右へ左へ揺れながら
あるものはくるくると回転しながら
あるものは浮いたり沈んだりしながら
ゆっくりと、なすがままに、揺れている存在たちの
けなげさを感じるからだろうか


それとも
そこにあるけど、見えないものを
まいおりるものたちの姿が
見せてくれているように感じるからだろうか



さからわず
うけとめて
しなやかに
ゆっくりと
だけど、確実に地面を目指す
ちいさな ちいさな ものたち


そうか
ゆっくり ゆっくり おりてくるものたちは
やさしいんだな


うけとめるものたちに
うけとめる準備をする時間をたっぷり与えてくれるんだ......



誰かの心に
やさしく ゆっくり 舞いおりる


そんな言葉の使い手になりたいと 思った
▲ by Piedrita | 2005-04-09 23:25 | つれづれ

病気が教えてくれたこと(4)


担当医に去られてしまった夫は
それからいくつかの病院を転々とした。

病状は日に日に重くなり
毎日毎日枕元に私を呼びつけては辛さを訴える。
わがままと自己憐憫と何にぶつけたらいいのか分からない怒り
それらをすべて私が引き受けることになった。

私が病気で一番辛かった時期
夫は寝ている私に苛立ちをぶつけ
病気の私に甘えているようなものだった。
私は夫を頼りにはできないと諦めた。
そのときとても辛い思いをしたので
夫に対しては自分がしてほしかったように接した。

でもやっぱり、私と夫は違うのだ。
もともと私への依存度が高かった夫。
病を得て、その依存が底無しになってしまった。

依存しつくす先に
いつか夫の気がすむ地点がやってくるかと思っていた。
でも自分の内心にある(自立したい)という声に夫自身が気がつくには、
それまでに塗り込めてきた心の壁が厚すぎた。

とらわれから抜け出せない夫の姿を見るのが一番苦痛だった。
だけど本人がそこに気づかなければどうしようもない。
私は辛抱強くヒントを与えたけれど
夫の心の鎧が厚すぎて、
激昂されたり、
お前は冷たいと言われるたびに疲労は倍になった。

それでも態度だけは、
どんなにきついときでもゆったり構えている風を装っていたので
夫は何があっても妻は動じないと思い込んでしまったようだ。

不倫を告白したあとも
夫は変わらず私に依存し続けた。
たぶん、私は心が麻痺していたと思う。
2ヶ月ほどはそのまま変わらない日々が過ぎた。

3ヶ月目に私は壊れはじめた。

いや、意識して壊れていった。

夫は、
許してもらえるか
許してもらえない(別れる)かの
二通りの予想しかしていなかった。

苦しみの中でやり直すという選択肢が無かった。

頼れる存在であったはずの私が壊れていった時

夫はそこから逃げだそうとした。

病気に逃げ込む夫を私は許さなかった。
許してはいけないと思った。

自分の中に、
裏切られた苦しみと
病気の人間を追い込まなければならない苦しみとが
同時にわきあがり苦悩した。

だけどここで夫を咎めなかったらもう終わりだ。
人には心があるということを夫が身をもって知る必要があると思った。
今ここで夫を無罪放免してしまったら
夫は自分と向き合うことなく人生を歩むことになる。

私自身は自分と向き合い自分を変えることで
この苦しみを消化することは出来るだろう。
けれどそれだけで良しとすることは、
私にとっては夫婦関係の破綻を意味していた。

片一方だけが努力しても、進んでいっても
相手との距離は離れるばかりなのだ。
それは最終的には埋めようとしても埋まらないものを生んでしまうと思った。


離婚する
離婚する
出て行け
顔も見たくない


夫は色んな言葉を使って私の口を封じようとした。

私は苦しみながらも
ずっと一緒にいるんだ。
その為の苦しみなんだ、という確信があった。

夫が逃げるのをやめてこちらを向いてくれると信じた。

何回も何回も失望感を味わった。
その度に私は試行錯誤を繰り返し、カウンセリングに通い
自分と向き合い、夫を見つめ続けた。

もう自分にできることが無くなったと思えたとき
カウンセリングを終了した。
夫を責める気持ちは無くなっていた。
そして替わりに、何とも言えない寂寥感を抱えて生きる毎日がやってきた。


ある朝、夫の前でこらえていた涙が溢れた。

夫はそれに怒りで応えた。


夫の告白から8ヶ月経っていた。


別れてください。と、その日夫に申し入れた。
▲ by Piedrita | 2005-04-08 14:32 | 病気が教えてくれたこと

無宗教だけど


やっぱり自我ってやつがすごい厄介なんだろうなと思う。

自我があるから、傷ついたり、落ち込んだり。

かといって自我を捨てたら自分が無くなるようで恐い。



けどたぶん大丈夫。

ブッダにだって個性はあったんだから。

もしかしたら自我を捨てたら

今よりもっともっと自分らしくなるのかもよ。^-^
▲ by Piedrita | 2005-04-08 12:14 | つれづれ
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